読んで(蒼雨が)恥ずかしくなる日記。
改行大好き。
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題名がひどく自虐的です。
打ち込んでから気づいた(爆)
今日の蒼雨さん。
09:00 起床
13:00 所用で学校へ
18:00 帰宅。空真っ暗。
22:00 パソコンを直そうと躍起になる
23:00 パソコンが直る
23:30 ちょっと落ち込む
22時からが怪しいです。
実は、昨日からパソコンが体調を崩してて、今無理矢理たたき起こしたところ。
一時はどうなるかと思ったけど、直ってよかった。
全部言ったようで、ほとんど割愛しています。
で、23時30分がわけわからんのですが(傍から見れば)
これは私用のため黙秘です。
それで、今日やろうと思っていたことがほとんど片付いていないのですが、
幸い明日1日ずっと空いているので、何とか取り戻したいなぁ、と。
創作も含めて。
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この前日記で予告していたとおり、小説ページを一時閉鎖させていただきました。
再開は4月1日(日)予定です。
それこそ蒼雨が大怪我をして入院したりとか、そういうことがなければちゃんと再開できるはずです。
……多分(何だって)
4月1日に再開するとともに、新しく小説を一つ掲載(予定)。
読切じゃないです。これは予定じゃなくて。
言ってしまえば、今まで掲載していたもののリメイクのような感じですが。
まったくの新作、というわけではないです。
今回閉鎖した理由の一つはそれです。
閉鎖だけじゃなくて、詩の一つでも書けたら良かったんだけど、春休みの課題で慌てふためいている日常では感情にも起伏が出来ません。
ああ、どっか山とかに遊びに行きたい。
最近暇だとポケモンに手が伸びます。
さっきまで「ダイヤモンド」で遊んでいました。
コトブキシティのテレビ局3階で、テレビの感想、意見を言って遊んでいました。
真剣に答えるのではなくて、デタラメにおもしろおかしく答えて遊んでいました。
で、さっきも適当に答えたら、
「君、そんな言葉知っているなんてなかなかギョウカイジンだね」(うろ覚え)
と、褒められたやら何やら分からないコメントが返ってきました。
ふーん? と思いつつ続きを見ると、(その「?」は何)
「ちょっと知り合いに頼んで、ボックスの壁紙を増やしてあげるよ」(うろ覚え)
とか何とか。
要するに、パソコンの壁紙の種類を増やしてくれるそうな。
ふんふん、なるほど?
で、さっき確認したら、
わぁ、緑バージョンだぁー(・∀・)
なんと、11年前に出た初代ポケモンのゲーム画面仕様でした。
草むらのグラフィックとか、凄い懐かしい。
ダイヤモンドの3Dに慣れていたせいか、素晴らしくちゃっちく見えたんですが。
壁紙の名前も「なつかしい」。
いや、マジで懐かしいよ。
あまりに懐かしくなってしまって、ダイヤモンドを一度やめて、緑バージョンを引っ張り出してきて遊んでいます。
10年前のデータが未だに残っているのは奇跡だ。
しかし操作方法を忘れてしまい(ダイヤモンドと異なる点が一杯すぎる)、四苦八苦中。
◆◇◆ 鬱病認知尺度 ◆◇◆
『このチェックは、精神科医の町沢静夫氏による「うつ病認知尺度」を参考に作られています。(※本によるとうつ病認知尺度とはいうものの精神障害になりやすい思考パターンを調べるものだそうです)
選んだ答えによって、「否定的自己認知」「対人認知」「強迫的思考」の傾向の強さを表示します。また総合得点でも評価します。』
某所で見つけたので、早速僕も試しました。
どれくらいうつ病なのか、目安になるそうです。マジでか。
で、結果は。

あ、思ったより低かった。
最近微妙な方向にポジティブだったりするからな。
ということで、僕はうつ病の心配がないそうです。
『このチェックは、精神科医の町沢静夫氏による「うつ病認知尺度」を参考に作られています。(※本によるとうつ病認知尺度とはいうものの精神障害になりやすい思考パターンを調べるものだそうです)
選んだ答えによって、「否定的自己認知」「対人認知」「強迫的思考」の傾向の強さを表示します。また総合得点でも評価します。』
某所で見つけたので、早速僕も試しました。
どれくらいうつ病なのか、目安になるそうです。マジでか。
で、結果は。
あ、思ったより低かった。
最近微妙な方向にポジティブだったりするからな。
ということで、僕はうつ病の心配がないそうです。
いにしへの むらに つたはりし ことづて ありけり
そこには 広大な海があった
まず 山が出来た
そばに 川が流れた
そばに 緑が芽生えた
緑から 次々と
新しい生命が 飛び出しては 飛び出しては
新しい 自分たちの家を求めて あっちへ走り こっちへ走り
そうして出来たのが
今の この大地である
そして ここは
それを物語る 古の村である
シンオウ地方「カンナギタウン」から。
一行目の古文が、文法的に正しいかどうか、それだけがとっても怪しいです。
「昔を伝える町」。
どれくらい昔なのか、それはもはや今となっては、確かめる術すらないでしょう。
そして、言伝が正しいかどうか、それを言い切れる者もいないでしょう。
それでも、語っていくのです。
この町は。
何故かは、これも、言い切れる者など一人としていないでしょう。
そこには 広大な海があった
まず 山が出来た
そばに 川が流れた
そばに 緑が芽生えた
緑から 次々と
新しい生命が 飛び出しては 飛び出しては
新しい 自分たちの家を求めて あっちへ走り こっちへ走り
そうして出来たのが
今の この大地である
そして ここは
それを物語る 古の村である
シンオウ地方「カンナギタウン」から。
一行目の古文が、文法的に正しいかどうか、それだけがとっても怪しいです。
「昔を伝える町」。
どれくらい昔なのか、それはもはや今となっては、確かめる術すらないでしょう。
そして、言伝が正しいかどうか、それを言い切れる者もいないでしょう。
それでも、語っていくのです。
この町は。
何故かは、これも、言い切れる者など一人としていないでしょう。